株式会社イーウェル アドバイザー
山梨大学 教育人間科学部教授 西久保浩二

いやはや、記憶にないほどの猛暑の連続で、読者各位には疲労困憊、消耗のことと推察申し上げます。厳暑厳寒は景気には良い、とのことだったわけですが、現政府のあまりの無為無策、傍観主義のなかで予期せぬ円高が急速に進行するためか、猛暑の汗に冷や汗が加わりそうで、まったく...(見守ってばかりでどうするの?!財務大臣殿)。
厳暑の景気浮揚効果もずいぶん相殺されてしまった気がしますなぁ。
ここは、熱中症に効果がないことなどは気にせず、毎夜の麦酒で大いに水分補給するしかございません。このアフターファイブの水分補給を支えに、企業と従業員が頑張るしかないのですよ、日本というお国は結局...。
さて、では頑張る企業と従業員のためにある福利厚生について議論をはじめましょう。

今回はわが国の福利厚生の今後のあり方において、筆者が最も重要な方向性のひとつと位置づけている“場としての福利厚生”について、最近行った実証研究の結果などもご紹介しながら、じっくりと考えてみたいと思います。
福利厚生は、歴史的にも、そして実態的にも、企業の人的資源管理部門が主体となって、企画、制度開発、制度運営、そしてコスト負担を行う形態が基本型となっている。この「企業主導型」ともいえるものが、わが国の福利厚生の一般形であり、大部分を占める存在となってきたわけである。官営工場や鉱山を生成期として始まった歴史的必然であり、経路依存性といわれる帰結である。これらの「企業主導型」制度に要する費用は、当然のことだが、事業主負担の法定外福利厚生費としてコストが集計される。
高度成長期に代表される経済の好調期で、企業業績が右肩上がりの時代にはそれだけでよかった。
企業の継続的な売上増加や収益拡大が、福利厚生費の動向などを顧みる必要を認識させることもなく、新規学卒採用のため、従業員のモチベーション・アップのため、労使柔和のために、どんどん色々な福利厚生制度を導入して蓄積していった。

ま、効果とか効率とかあまり堅いことはいわずに、「ライバル他社に制度あり」と聞けば、「こりゃいかん」とばかりに福利厚生費の大判振る舞いを行ってきたわけである。ちなみに、1969年から1976年までの7年間連続で対前年比(単純平均)10%を超える14%の連続増加を示し、69年に従業員1人当たり月額が4,978円であった法定外福利費が76年には13,640円と2.7倍に拡大した(同期間に賃金は2.9倍に増加)。
これは、現在の中国、ベトナム、インドネシアなどアジアの高度成長諸国での法定外福利費の動きに酷似している。当時は、従業員の生活水準も決して豊かなものとはいえず、衣食住に加えてレジャー関係(遊)といった基礎的な生活支援が喜ばれる時代であった。従業員にとっては「企業が自分たちの生活のために何をしてくれるのか」「企業成長の果実をどれだけ“見える形”で配分してくれるか」という点に関心が集中していた時期であり、その評価が定着意識や貢献意欲、そして労働力不足基調のなかでの採用力に直結していたのである。
だから、企業もそうした投資効果を疑うこともなく、思い切った投資拡大が決断できたのであろう。
しかし、急成長はやがて中成長となり、低成長となるのは歴史の必然である。

福利厚生の主体と機能

この成長から成熟への過程では、多くの国家のケースで社会保障制度の整備と人口高齢化が同時進行する。その結果、税か保険料かという形式はともかく企業に社会的負担、わが国でいうところの法定福利費の負担が膨張する。そして連動する退職給付費用の負担も重いものとなってくる。こうした時代の流れのなかで、企業主導型の福利厚生に対して徐々にではあるが予算管理が求められ、費用対効果といった評価の目も厳しくなり、さらにはアウトソーシングといった思い切った経費削減、運営効率化の手段の導入もなされてゆく。
要するに、企業主導型の福利厚生は、自然の流れとして予算制約に縛られることとなり、現状維持すら難しく、徐々にではあるが抑制されてゆくことになる。 わが国のケースでは、高度成長期に主流であった「独身寮・社宅」「レクレーション施設」「運動施設」「給食施設」といった“ハコもの”が高コストであるがゆえに、まず見直しの対象とされ、加えて「財産形成」「生活保障(老後、医療、介護、遺族保障)」なども同様の理由で抑制されはじめた。替わって企業によって注目されたのは「出産・育児」「健康」「自己啓発」などの分野で、少子高齢社会のなかでの社会的要請に応えるものでもあり、従業員にとっても先の「衣食住遊」に替わる新しい生活リスクへの支援ではあった。
しかし、企業が自らのコスト負担を前提として、新たな重点分野と位置づけたそれらの分野だけでは従業員がこれからの安定的な生活を展望するには不十分であり、欠落する分野が残されることとなった。それが先の「財産形成」「生活保障(老後、医療、介護、遺族保障)」の分野である。これらは今後、本格化する高齢社会に従業員が適応するために欠かせない、重要な分野なのである。

少子高齢化という社会現象は従業員にとっては、長寿社会だと喜んでばかりいられるものでは決してない。生涯の収支バランスを大きく悪化させるインパクトをもつ脅威である。“人生50年~” と呻吟して、ま、本能寺でもどこでもいいが華やかに、今巣鴨の流行言葉でいう「PPK(ピンピンコロリ)」とポックリ逝ければいいが、80歳・90歳と昔の日本人が想像すらしていなかった長い人生を生きることになるのであり、そのことはその期間に必要となる莫大な生活費、医療費、そして介護サービスを確保しなくしてはならなくなったことを意味する。換言すれば、誰もが大きな将来債務を背負ったことになったわけである。
特に、わが国の従業員は、世界に類を見ない速度とレベルの超高齢化に直面することになるわけで、それに見合うだけの慎重で早急な準備が必要となっている。これは、誰もが逃れようのない切実な問題である。
既に高齢化率は2009年(平成21年)に22.8%で、突出した世界最高水準に到達しており、これが、急速に40%水準あたりまで上昇してゆく。これほどの高齢化水準では世代間扶養に過大な期待することは難しいことは明確である。過重な税、社会保険料の負担に苦しむことになるであろう息子・娘たちの世代に、親世代の生活費支援を求めることなどできるはずがない。この状況はマクロでも、ミクロでも同様である。

ではどうすればよいのか。企業も二の足を踏み、子供世代にも期待できない。そうした現状のなかで、世界一の超高齢社会を生き抜くためには・・・。
もう答えはひとつしかないのである、ずっと前から。すなわち、自己完結志向の自助努力を生活設計の柱として確立することである。現役期の収入と貯蓄およびその運用成果によって、生涯の一切の全生活コストを賄うことを目指す。もちろん、公的年金、公的健康保険、企業年金など確実に使えるものは全て最大限活用することは当然だが、それらに楽観的な期待は禁物で、自らの望む老後の生活水準を確保するための自立的な準備を始めなければならない。それは本当に一刻も早く、そして計画的に、かつ十分な金融、保険、税等に関する知識を活かした形で行われることが望ましい。
「場としての福利厚生」とは、まさにこうした超高齢化に向けた従業員の本格的な自助努力を早期に喚起し、それを継続的に支援するための場(時空間)として、職場という共同体組織を戦略的に活用しようという方向である。従業員個人、労働組合、共済会などの労使共同組織など、企業主導ではない新しい主体性の下で、団体としての効率性を最大限に活かしながら制度開発や運営を行い、必要十分な資産形成と生活保障を実現することを支援する。
そのニーズが確実に存在することは明確である。図2は、正規従業員2,052名に対する最近の調査で捉えた「不安」の実態である。多くの生活不安の中で、最も不安のものを1つだけ選択するように求めた結果である。老後生活の経済的不安がいかに多くの従業員、そして若年層も含めた全世代に共有される不安であるかがわかる。

最も不安を感じている点(単数回答)

この「場としての福利厚生」とは、換言すれば、従業員個人の自助努力、そして従業員間での相互扶助を効率的に実現する「相互扶助・自助システム」と呼べる方向性である。
こうした機能はこれまでの福利厚生においても存在したが、これからは企業主導ものではなく、従業員個人が自立的に、戦略的な生活設計を計画し、実現するためのインフラとして明確に位置づけられるものである。従業員自身の問題意識に基づく自立的な生活防衛、生活設計を、職場という場の特性を活かして有利に展開する場となる。普及期に入ったカフェテリアプランなども多様化のライフスタイルを前提とした生活設計を支援する仕組みとして有効なものとなろう。

当然、このシステムにおいては受益者負担が前提となり、企業拠出への期待は最低限となる。従業員の自主性を基本に運営され、個々の従業員の自律的活用を促す必要がある。老後の資産形成、介護、死亡・ケガ・病気などへの経済的備え、子育て、子供の教育などのリスクに対して団体保険的なシステムを活用する。このようなシステムが実現され、共有されることで従業員同士の強い“絆”としても機能することが期待される。企業側は多様な選択肢を確保するための制度的なインフラ整備に努めると同時に、若年層からの段階的なライフプラン・セミナーなどを通じての“気づき”的な刺激を与え、若年期からの無理のない資産形成、生活保障準備、自己啓発・能力開発を支援するなど、補完的な立場から関与する役割を果たすことが求められる。
現在、このような「相互扶助・自助システム」が十分に浸透、機能しているとは言い難い。図3の最近の調査結果にみるとおり、自助努力型の団体商品の企業導入率、従業員加入率はともに低調である。団体性商品は、従業員にとって負担面、加入の容易さなどの点で有利であることは間違いない。給与天引きとなる点も、優先的な生活設計行動となり、持続性が期待できる。企業は直接的な負担がないだけでなく、事務費収入が得られるなど制度導入を躊躇する理由はないはずである。制度導入がなされていても、従業員に十分に認知されていないケースも多く、周知の努力が不足している面もある。

自助努力型団体保険・年金商品の加入実態

どうも、企業は総じてこうした自助努力型団体保険・年金商品に関する関心が希薄のようだが、それは先に述べた企業主導型の福利厚生と比較して、十分な経営的効果が期待できないとみているからではないかと筆者は思っている。労務研究の世界には、打算的コミットメント(calculative commitment)という態度概念があるが、組織との経済的、功利的な打算関係だけを重視する従業員態度と位置づけられ、あまり評価が芳しくない。打算的に有利である場合だけに定着に効果があるとされるが、やはり打算的ではない情緒的コミットメントの方が重視される傾向が強い。要するに、会社の制度を抜け目なく利用して、自身の経済的利益だけに執着するような従業員像を想像してしまうのだろう。

最近行った従業員調査の分析では、それが誤解であることが明確となった。職場に用意された上記のような様々な自助努力型商品に加入することで、打算的ではなく、良好な従業員態度が形成を促す可能性が高いことが判明したのである。その一例を図4に示してみるが、従業員の勤務先企業に対する定着意向について「A:現在の勤務先企業にできるだけ長く勤務したい」「B:他に有利な転職先があれば、すぐにでも転職したい」という対立的意見を示し、自身がどちらに近いかを回答してもらう。その上で、図では従業員が毎月天引き拠出するタイプの任意加入の団体年金の加入者と非加入者で、その定着・転職意向の分布の違いを統計的に検証している。
結果としては、分布図で明らかなように、加入者での定着意向派の分布が明確に多くなっている。
この差異については統計的にも高い信頼性が得られている。

拠出型企業年金の加入有無と定着性

このような自助努力型商品の加入行動と従業員態度との関連性は定着性だけではない。勤勉性、貢献意欲、勤務先への満足度などの様々な従業員態度との関連性の検証することができた。また、団体商品についても、図3で加入行動の実態をみたほぼ全ての商品について、これらの経営的効果との関連性を確認することができている。
団体保険という性格上、従業員にとっては勤続を前提とした加入であり、加入者は自ら一定の勤続継続の必要性を認知、つまり、離職に伴うコストを認知することにより、離職抑制効果を示していることも推定される。
結果的には、こうした自助型の加入が長期勤続に対する一種の“踏み絵”的な機能を果たしている可能性もあるとも思われる。つまり、「この会社でずっと頑張るんだ」という自らの意志を確認する行為に近似するのであろう。
資産形成(老後資金、住宅)を計画的に意図するタイプの制度では、定着的態度との関連性が顕著に観測されることからも、老後の不安解消との対価としての勤務継続への意志確認の効果があるものと思われる。

一方で、団体定期保険に代表される遺族保障および所得補償に対する自助努力行動は「勤勉性」「貢献意欲」と関連性が検証されている。これらの商品性が家族への保障・補償の確保によるセーフティネットとして認識されることで、業務への専念や組織へのコミットメントを高める効果をもたらしているとも考えられる。つまり”後顧の憂いを絶って”家族のため仕事に全力投球できる、といった心情なのではないかともいえよう。
さて、このように調査結果や分析結果をみてくると、何かと難しくなりつつある企業主導型の福利厚生だけではなく、従業員が主体性を発揮する“場としての福利厚生”をしっかりとした新しい柱として確立し、「財産形成」「生活保障」などの分野の役割比重のシフトを検討すべき時期にあると思われる。
このことは従業員の将来への不安を自身の努力によって解消するという側面だけに止まらず、企業の人的資源管理において期待される効果ともいうべき良好な、Productiveな従業員態度の醸成にも寄与するという副次的な効果もあるようだ。企業としても、将来の不安から解放されて思う存分仕事に専念できる優秀な人材を、ひとりでも多く確保するために“場としての福利厚生”、すなわち、「相互扶助・自助システム」を本格的に整備、拡充する時期にきたのではないだろうか。