株式会社イーウェル アドバイザー
山梨大学 教育人間科学部教授 西久保浩二

  年度末が近づくと、何だか慌ただしいといいますか、寂しい感じがしますね。
  大学では、四年生の卒業研究の提出や発表会などが終わると、卒業式に向けての追いコンやら、卒業生達とのゼミ旅行の計画などが決まり、「いよいよ、この子達ともお別れか....」などと、妙にセンチメンタルになったりします。当人たちも、最後の学生生活だとばかりに、スケジュールを詰め込んで遊ぼうと大忙しの様子だが、彼らにとって慌ただしいのは、四月からの「住居」が決まっていないということである。社有の独身寮をもっている企業ならば、この時期には入居先が知らされるので、引越しだけを考えればよく、比較的楽のようだが、自分で居住物件を探さねばならない学生達は落ち着かない様子で、毎日ネットで物件を探して、頻繁に下見に上京しているようである。
  わがゼミの学生たちも、好景気の時期には三、四社の企業から内定をいただいたのだが、最終的な会社選択には「都内に独身寮があるか」「住宅手当はどれくらいか」といった居住条件が、かなり重要な選択基準となっていたようである。確かに、手取り十万円台の新入社員にとって、都内の6~8万円程のワンルームの家賃は「痛い」ようである。仕事の内容ややり甲斐とか会社の将来性なんて、面接ではとりかえず取り繕って話しはしても、本音としては「よくわからない」という状態で、一番よくわかる確実な話は「家賃はいくらか」ということになるようである。

  わが国の企業の多くは、高度成長期やバブル期の超売り手市場を経験する過程で、「独身寮の有無、その量と質」≒採用力という方程式を否応なく学習した。バブル期などは、あまりの採用難に千葉県の中堅不動産企業が、学卒に新築一戸建ての社宅を進呈するという暴挙(?)にまで出たことを、記憶している。大手商社が独身寮にプールとビリヤード台まで設えた豪華独身寮を建設した時期でもあり、今となっては、古き良き時代という感じである。
  ともあれ、「住宅」がわが国の福利厚生のあり方において最大の関心事であり、厄介事でもあり、そして最大の“金食い虫”であり続けたことは、間違いない。本コラム連載でも何度も触れた点であるが、貴重な法定外福利費のほぼ半額が「住宅」に費消されている(図表1)。もちろん、近年は「脱ハコもの」の動きの中で、相対的な比重を徐々に低下させていることも事実なのだが、法定外福利費の細目の中では、圧倒的な存在感でありつづけている。ちなみに、つい最近発表された日本経団連の最新調査(2010年度)では、従業員一人当たりの月額で「社宅」は11,865円であり、二番目が「給食」の2,058円、三番目が「医療・保健衛生施設運営」の2,031円といった具合である。
  日本企業が、なぜこれほどに従業員の「住まい」に関わるのか。そして、このコミットメントを今後もつづけなければならないのか。この点について、一度マジメに(いつも真面目ですが)考えてみたいと思う。
  

図表1 「住宅」の対法定外福利費(構成比)の推移

図表1 「住宅」の対法定外福利費(構成比)の推移

  そもそも、これほどの「住宅」偏重の配分構造が成立したのは、背景に歴史的・社会的要素が色濃く存在する。
  まずは、大戦後の焼け野原で復活を果たそうとする企業が、家を戦火で失った従業員のためにバラック小屋のような社宅を建設した。その後の“世界の奇跡”とか”東洋の奇跡”(実は、この手の表現は世界にたくさんあるのだが)と呼ばれた高度経済成長の過程で、厳しい労働力不足に直面した。この時に頼りにしたのは、地方の新規中卒の人材であった。いわゆる“金の卵”です。遠方からの採用であることから、当然寄宿舎を用意しなければならなくなる。そこでは「舎監」と呼ばれた恐~い監督者が、都会での生活指導などを行った。
  その後も高度成長がつづくなかで労働力不足は慢性化し、さらには地価が上昇する。当然、都心の家賃も上昇を続ける。良質低廉な公共住宅の供給が遅れた点も、この状況に拍車をかけた。当然の流れとして、従業員生活にとっては「住まう」ことのコストとリスクが深刻化することになる。金利が高水準であり、若年期での持ち家取得も容易ではなくなった。当然、労使交渉での要求は「住宅」に収斂されていくこととなった。企業にとっても安定的な価値の上昇が期待できる土地資産を取得することはメリットも大きかった。間接金融主体の時代だから、借入金の担保価値を確保しておくことは重要だったのである。こうした労働力不足・地価上昇・おそまつな公共住宅政策の三点セットから作られた状況が、バブル崩壊でピークアウトするまで続くことになる。
  図表2は、新規建設戸数の推移をみたものであるが、「給与住宅」は平成3年度の40,437戸をピークに減少傾向を示し、22年度には6,580戸にまで至った。22年度まではやや上昇傾向を示しているが、これは耐震対応等のための建て替え需要と考えられる。この「給与住宅」には、官公庁などの宿舎や学校の附帯寄宿舎等も含まれているため純粋な民間企業需要とはいえないが、全体として、事業者が自ら建築物を建てて「住宅」を従業員に直接提供するという伝統的な対応が、明確に縮小されているといってよいだろう。

図表2 「給与住宅」建設件数の推移

図表2 「給与住宅」建設件数の推移

「建築着工統計調査報告(平成23年11月)(国土交通省)」より作成

給与住宅とは、会社・官公署・学校などが、その社員・職員・教員などを居住させる目的で建設された住宅

  こうした直接供給が縮小される背景を示す明確なデータとして、図表3をご覧いただきたい。これは2008年の発表された日本経団連の「福利厚生費調査」の、十五年ぶりの「住宅」に関する詳細な附帯調査(集計母数は623 社)の結果である。
  例えば、世帯用の社有での入居率をみていただければわかるのだが、67.8%というのは三割以上が空室で放置されているということである。単身者用の社有をみても71.2%で、同様の空室率であることに驚かされる。予算制約が強まる中で、これでは投資効率が良い施策とはどう見ても思えない。一方、充足率を見てみると一割程度であることから、転勤族など従業員の特定層のための施策ということもいえるようだ。もちろん、その必要性を否定するものではないが。また借り上げ形態では、世帯用・単身者用いずれにおいても入居率が高いことと対比すると、社有であることの必然性はさらに説得力を失うことを示している。単身用借り上げ形態での入居率がやや低いのは、独身寮向けに一棟借りなどを行うためと、比較的独身層の退去率が高いためと考えられる。

図表3 保有・借り上げ社宅の充足率・入居率

図表3 保有・借り上げ社宅の充足率・入居率

日本経団連「福利厚生費調査 付帯調査(2008年発表)」より作成

  利用実態と同時に、コスト面も確認しておきたい。これは社有形態の保有企業に対して、過去10 年間における社有社宅の戸数等の変化とその間での経費の増減について、回答を求めたものを比較している。前列が「戸数が増加した」と回答した企業割合であり、後列が「経費が増加した」と回答した企業割合となる。これを企業規模別にみたわけであるが、グラフの高低に大きな差があるのが一目瞭然である。これは、後列が多く前列が少ない、つまり戸数は増えていないにも関わらず経費だけが増えている企業が、相当数存在することを示している。例えば「3,000~4,999人」層では戸数増加が3.8%であるが、経費増加が17.3%ということならばその差の13.5%の企業が戸数維持もしくは減少に関わらず、管理経費だけが膨張したものと考えられる。
  要するに、高い空室率の状態であっても、維持するだけでコストが膨らんでいるというわけだ。デフレの経済下で、しかも法定外福利費のほぼ半分を占める「住宅」が、こうした非効率でコスト管理の困難性を示す存在であることは、企業の福利厚生全体のマネジメントを強く硬直化させる要因となっている。

図表4 保有社宅の状態(規模別)

図表4 保有社宅の状態(規模別)

同調査より作成

  この附帯調査では経費増加の内容についても調査を行っている。回答上位の内容は図表5のとおりである。

社有社宅の管理課題

同調査より作成

  さて、少し古いデータもあったが、おそらくこの状態や傾向は現在まで続いていると考えられる。ただ、法定外福利費のなかでの「住宅」の比重が、徐々にではあるが低下してきていることも事実であり、社宅廃止・社有から借り上げ方式・アウトソーシングの利用など効率化の努力もなされていることはうかがえる。
  前回にも触れたが、最近マスコミを騒がせた(といっても、勝手に騒いだのだが..)国家公務員の宿舎問題に巻き込まれた際に、事業者にとっての「住居」を提供することの必然性とは何か、必要性とはどう定義されるべきなのか、という理念論について議論させられた。やや不毛な感じもするが、そのときの議論の成果から、今回の民間企業での「住宅」のこれからの存在意義を考えるにあたって援用できる部分もあるので、その辺りを振り出しに考えてみよう。
  まず、公務員でのこの問題を巡る議論のスタートは、「国民の血税が財源」というなんとも感情的な財源論となる。つまり、それだけの貴重な資金を有効に、国益に資するものでなければ使えないという論法から始まる。では国益とは何ぞやという、また宙に浮きそうになる話に向かうのだが、昨今のご時世を見ることだけには敏な政権が絞り出した論拠は、「災害時の緊急参集性」である。大地震・大津波・大規模テロ等々、国家存続の危機の際に、公務員は司令塔あるいは行動拠点となるポイントに15~30分以内に居住することが「必要」であるという話である。確かによく考えたもので、23区内に宿舎がどうしても必要だという話を支えるには、これぐらいしかないだろう。事実、各省庁部・実務担当が近居せずに、緊急時に民間人同様交通渋滞に巻き込まれて集まれないとなれば、行政機能、特に災害対応に著しく支障をきたすことは間違いないだろう。したがって、公務員の宿舎という点で正しい論拠である。

  では、民間企業にもこの「緊急参集性」という存在理由・概念が適用できるだろうか。筆者の古い経験では、金融機関等の大蔵省等で緊急の対応が求められる可能性が高い企画系役員・職員などが、優先的に都心社宅に居住していたと記憶する。職場への近接的居住が求められる職種は、民間企業にも数多くある。九州講演時に電力会社の福利厚生担当者と話した際には、水力発電施設・送電施設など中核的な施設の管理を行う部門では、いかなる山間僻地であってもその施設に近接した地域に居住する必要性が高く、民間の賃貸施設など少ない地域であっても、そこでの社宅建設に躊躇する理由はないとおっしゃっていた。確かに、これは自社の主要事業の円滑な運営上不可欠なものといえる。BCP(business continuity plan)との関連の中からも、「社有社宅」の必然性が認められるだろう。この必然性は各社のビジネスモデル・職務特性を改めて見極める中で定義できる。自社にとっての「緊急」は何かを、考えればよいわけである。
  では、「緊急」以外には、社宅・独身寮は必要ではないのか。
  冒頭でも触れたが、第二の必然性はやはり「採用力」、特に「新卒に対する採用力」である。優秀な学生、特に地方居住の学生を採用するためには、独身寮は必要か不要か、という議論である。筆者の答えは、やや中途半端である。先ほどの日経連調査の単身者用の空室率をみると、学生のニーズとしては「会社の寮になんて、窮屈で住みたくな~い」「もっとカッコいいデザイナーズマンションに住みた~い」とかいう反応による層がかなりいるのではないか、と予想している。贅沢に育った世代でもあるため、こうしたニーズのミスマッチも生じているように思う。この場合は、住宅手当に代替できる層でもあり、社有とする必要性は高くない。ここで、再び公務員についての議論に戻る。住宅手当と、社宅保有のコスト比較である。国家公務員では上限26,000円程度の手当があるが、このコストと現物の宿舎維持管理コストとの比較が行われ、前者が低コストだったが宿舎が政治的に断念された。民間はそんな意味不明な意思決定はしないので、厳密な比較が必要であろう。その上で、コスト面での優劣と先のニーズも合わせて、総合的な判断が求められる。重要な点は、「採用力」を阻害しないことだ。できれば、魅力度と評価されるコスト・クオリティを提供したいものである。もちろん、「住宅」だけが採用力・企業の魅力度の全てを決定するものではないことは、当然というか言わずもがなである。賃金・社内風土・成長機会・企業ブランドなどもっと大事な他の「採用力」の源泉をブラッシュ・アップすれば、社宅も手当もそれほど必要ではない、という論理も成り立つ。

  議論の余地はまだまだあるのだが、この二つの必然性の論拠は汎用性の高いものでもあるので、結論的なまとめをしたいと思う。
  まず、企業が従業員に「住宅」に関与すべきかという基本的に問いに対して、第一の答えは、「緊急参集性」に代表されるような円滑な事業遂行上の理由が自社のビジネスモデルにおいてあるならば、当然関わるべきだという結論が導かれる。例えば、業務用社宅といった表現があるように、山間僻地等での重要な施設管理、緊急性の高い顧客対応などの業務・職務であるならば、企業が彼らに自由に居住地探しをさせるべきではない。適切な距離に安全な居住地としての社宅を確保する、つまり人事労務上の効果うんぬんという議論ではないということである。わが国の産業勃興期の山間地・鉱山にあった明治期の事業所の全てが寄宿舎を用意したことと同じ理由である。
  第二の答えは、投資効率、つまり費用対効果としてそれが有利な選択肢であるならば、企業は直接的に「住宅」に関与すべきだ、という条件付きのゴーサイン・結論である。例えば、「採用力」という成果・効果を得るために「独身寮」という投資選択肢が有利であれば、必要と認める。他の選択肢の方が有利であるならば、それは不要だということにもなる。老朽化し、魅力を失った社宅・独身寮を、惰性的に維持することはない。一方で、建設統計をみても、現在での新規建設を行っている企業は一定数あり、おそらくなくなることはないだろう。地方の工場勤務の高卒新卒の採用力の維持のためには、清潔で低廉な独身寮の維持は、代替策がない重要な採用政策の一環となっている。これもまた、人事効果からみた投資効率からみた適切なジャッジなのである。
  この二つの「必然性」に関する結論は、社宅・独身寮だけに適用するものではなく、他の制度・施策にも、こうしたゼロからの「必然性」の議論が常に必要なのであろう。