イーウェル福利厚生研究所 企業戦略研究会 座長
山梨大学 教育人間科学部教授 西久保浩二

最近、福利厚生にも「流行現象」なるものがあるんだなぁ、と感心している。


そのとおり、“社員食堂”を巡る様々な話題が一気に盛り上がっているようだ。国営放送が深夜放映ながらも「サラメシ」(サラリーマンのメシ)といった定期放送を構えると、民放各局も慌ててワイドショー、報道番組などで次々と特集を組み始めた。メディアが騒ぎ始めるには、それ相応の実態、つまりネタが存在するわけで、某体重計メーカーの低カロリーレシピ本がベストセラーになったことや、IT系ベンチャー企業の社員が分担して「昼メシ」を仲良く自炊し、和気藹々と会食するといった風景が何度も伝えられた。


筆者も、企業ヒアリングにお伺いするときに、しばし社員食堂でご相伴にあずかり、合わせて取材をさせていただいてきたが、確かに近年になって“シャショク”が何やら変わってきていることは間違いないようである。


今回はこの社員食堂について、つらつらと考えてみたいと思う。


まずは、かなり古いデータをご覧いただきたい。これは、(財)生命保険文化センターが2003年度まで実施していた時系列の企業調査の結果である。この調査は大規模標本であると同時にサンプリングも含めて精度が高く、国内の30人以上の事業所を母集団として再現性の高い調査であった。この調査において「給食施設」の実施率を調査開始時点から採取していた。規模別での実施率の傾向をグラフ化しているが、90年代以降、2000年初頭あたりの頃まで、いずれの規模層においても低下傾向が顕著であったことが示されている。

図表1 給食施設の実施率の推移(1989-2002)

図表1 給食施設の実施率の推移(1989-2002)

図表2 給食施設の実施率の推移(規模別)

図表2 給食施設の実施率の推移(1989-2002)

そう言えば、このグラフを作成したきっかけは、大手新聞メディアの取材で「昼食難民」というテーマの番組に協力した際のものであった。「昼食難民」とは、グラフが示しているように、次々と社屋内の社員食堂が廃止されたため、街中をランチを求めて右往左往、俳諧するあわれなサラリーマン諸兄に名付けられた名称である。丸の内、大手町といった都心部では、飲食店も相対的に少なく、時間が集中するため行列待ちがすごくて、ちょっと出遅れると昼休み時間内に食べられず昼メシ抜きという、まさに飢えに苦しむ難民そのものと化した人々も取材されていた。わが国の単純なマスコミの喜びそうな絵柄であります。


確かに筆者にも実感があるが、サラリーマンにとっては一時間のランチ・タイムは貴重な“癒し”の時間であり、また午後からの憂鬱な時間帯に臨むための鋭気を養う大事な気分転換タイムであることは間違いない。スペイン人のように、ランチとワインを頂き、シエスタ(siesta)と称して昼寝までやってしまうほどの優雅さ・大胆さには遠く及ばないが、古くから「同じ釜の飯を食った仲間」という表現があるように、気の合う仲間で集まってワイガヤと昼食でも食せば、ずいぶんと元気になったような気がしたものである。


ともかく、社員食堂が次々となくなって、市中に追い出された社員たちが高い割高な飲食店を探し歩く姿が、ずいぶんと哀れな姿に見えたのであろう。


この後しばらくすると、マックの100円バーガーが売り出されたり、ワンコイン・ランチという低価格メニューなども話題になった。バーガー1個にお茶を持ち込み、といった超節約型のランチ。これらはみんな難民を目当てにした各社の貧困マーケティング戦略(ちょっと言い過ぎかな?)であったわけである。


そもそも社員食堂(正式名は職場給食施設)とは、福利厚生制度の中では定番中の定番で、寄宿舎などと並んで明治初頭の製糸業・鉱工業あたりの近代福利厚生と生起とともに出現したハコものである。この定番施策を日本企業の多くが廃止・縮小せざるを得なくなった背景には、バブル崩壊とともにはじまった深刻な不況に伴う経費削減要請があり、保有資産のスリム化を求められる会計制度の変更などの諸事情があった。また、個人的な「食」まで、企業が面倒を見ようとする“手厚い福利厚生”への否定が、あたかもグローバル・スタンダード(この言葉もずいぶんと流行ったが、今や死語のような...)に適うといった風潮があったようにも記憶している。


こうした“脱ハコもの”、経費節減の流れの中にあったはずの社員食堂が、突如といってよいほど急に脚光を浴びはじめたのはなぜか。


本コラムのご愛読の方ならば既に周知のことであろうが、2008年度より医療保険者による定期健診(勤労者では労働安全衛生法)に腹囲測定が追加され、メタボリック症候群に着目した特定健診・保健指導プログラムが開始されるようになった。日本人というか、日本企業は真面目で、はじめると計画的で、そして創意工夫が大好きな国民性をもっており、腹囲測定だけやって適当に保険指導をやってお茶を濁せばすんだかもしれないものを、わざわざ社員食堂にまで各種のヘルシーメニューを用意して、おじさん・おにいさん達のダイエットのお手伝いまで真剣にはじめたわけである。


低カロリー定食を開発し、カロリー表示はもちろん、汁込み・汁抜き別の表示を行う。また低カロリー定食だけでは満足せず、食物繊維を含めたバランス食の摂取を目指して、うどん・そば・焼きそば・チャーハンなど炭水化物系メニューには無料で必ず野菜サラダを付けるという徹底ぶり。給食アウトソーシング業界もこうした動きには敏感で、様々な健康管理プログラムを提供しはじめる。社員食堂での給与天引きの電子決済システムを活用して、社員が摂取したランチ・メニューのデータを個人別に蓄積し、管理栄養士が助言して作成したプログラムを下に、定期的に従業員個人に対して、食生活の指導内容を携帯やPCにメールで送付するといった念の入ったサービスもはじめている。


こうしてメニューが充実し、様々な健康支援プログラムが登場すると、社員食堂そのもののリニューアル・拡充も始まった。特に新たに新社屋を建設するようなタイミングの企業では、豪華なカフェテリア方式の社員食堂を高層階に設置するようになる。


この高層階というところが、なかなか興味深い点である。というのも、80年代頃までの社員食堂というものの多くは、地下一階・二階といった社屋の中ではなんとなく、いや、はっきりと不遇な印象の場所に据え付けられていたものである。窓からの風景もなく、メニューの種類の本当に少なかった。A定食・B定食・うどん・そば...以上って感じが多かった。何やら養豚場の豚かブロイラーになったような気もして、まさに“エサ場”であったような印象の社員食堂が少なくなかった。当時の日本は、高度成長期で年間2200時間近い超長時間労働の時代で、多忙な仕事の合間に蕎麦を五分でさっと済ませて一刻も早く職場に戻らねばという感じで、社員食堂は時間を節約して最低限の栄養補給するためだけの、シンプルな機能施設として位置づけられていた。


豪華な社員食堂がはじめて話題になったのは、バブル期に某世界最大手のIT企業が、社屋の高層階に豪華な社員食堂を提供したときであったと記憶する。何社が模倣したようだが、バブル崩壊とともに先の調査結果のように無用の長物として厄介者扱いされはじめたのである。そして今日の「健康維持」をキーワードとして、再度脚光を浴びはじめたわけである。


ともかく、新しい社員食堂ができると、ヘルシーメニューだけに留まらず、社員食堂という“場”を活用したイベントが盛んに催されるようになる。最初は地産地消の郷土料理フェアやアジアン料理フェア、世界のカレーフェアといったものから始まったが、さらにイベント色を強めて「本マグロの解体ショウ」「有名パティシエを招いたデザート試食会」といった社員食堂の世界を超越したものまで現れる。業務的なものとしても、名物社長自ら登場するUstreamでの生放送で、新たな事業発表や新商品発表会などを開催して盛り上がっている。


こうした社員食堂という“場”を活用したランチ・タイムのイベントの目的は、社員間のコミュニケーションの活性化であったり、社員と会社の心理的な距離を縮めるためのコミュニケーション策である。若手学卒の早期離職問題がなかなか改善されないなかで、こうしたイベント施策で、彼らの社会適応・組織適応を促進しようとする懸命な施策とも言える。“ノリ”が大好きな若者たちには効果的なのかもしれない。


結果的に、平成19年の就労条件総合調査では、社員食堂・食事手当といった施策での過去5年間の状況との比較をみると、いずれの規模層でも「拡充・新設した」と回答する企業が「縮小した」とする回答を上回り、全体的な「制度がある」との回答率も38.0%となっている。当調査では社員食堂だけではなく、食事手当も含めた実施率として採取されているため、正確な比較はできないことが残念だが、おそらく社員食堂というハコもの(施設)が、拡充されはじめているのではないかと考えられる。


図3 社員食堂等保有企業における過去5年間と比べた現在の運営状況

図表2 「給与住宅」建設件数の推移

「平成19年 就労条件総合調査(厚生労働省)」より作成

社員食堂は明治期の古き時代には「賄い所」と呼ばれ、診療所の併設施設として始まったという記録もある。過酷な労働環境に置かれた産業革命期の労働者たちへ、まさに生きるための栄養補給のために必要最低限の粗末な食事、ご飯と香の物と汁一品という簡素な単一のメニューが用意されているだけだった。


その原点からみると、今日の社員食堂の発展の有様は、明治の労働者たちからは到底信じがたいものに映るのではなかろうか。また、バブル崩壊後の廃止・縮小の流れも収束し、社屋にあるこの空間をいかに活用するか、いかに自社の人材力を高めるために活かして使うか、という貪欲な企業の思いを感じ取ることができる。


単なる栄養補給の場から、コミュニケーション活性化、従業員間の一体感の醸成の場、そして企業に対する組織コミットメントを高める場として、活用のノウハウが蓄積されつつある。会社を強くするための、きわめてわかりやすい「見える」装置としての社員食堂の成長を期待するばかりである。


すっかり嫌われ者になった「ハコもの(施設型施策)」のなかから、新たな存在価値を模索し確立しはじめた社員食堂は、「新ハコもの」の一番乗りとなりそうな気配である。