イーウェル総合研究所 企業戦略研究会 座長
山梨大学 生命環境学部 地域社会システム学科 教授 西久保浩二

 最近の各種メディアの経済欄をみていると、頻繁に登場しているのが人手不足を原因とする事業展開の停滞である。以前、日経新聞でもバス運転手不足が深刻化しつつある状況が紹介されていた。必要な運転手が調達できないために、観光企画企業が、観光バスツアーの新規受注や増便を断念せざるを得なかったり、定期路線の維持すら難しくなる地域も出てきている。大手バス観光企業では、新卒採用を強化し、二種免許取得の補助を拡充しながら、定年年齢の延長を図るなど様々な経営努力を始めているが、なかなか解決策というほどの効果にはつながっていないようで、運転手の年間労働時間はかなり長時間化してきている。
 この他にも、建設、運輸、福祉、外食などの業界では、既に死語ともなっていたと思われた「人手不足倒産」が現実のものとなっている。本格的な少子高齢化の進行とアベノミクスの浸透による景気回復とが重なり、構造的な人手不足が急速に大きな経営問題となりつつある。

 しかし、こうした経営問題が惹起される原因は、労働市場の需給転換といった単なる外部環境の変化というよりも、人材戦略の齟齬と捉えるべきと筆者は考える。
 すなわち、中長期的な経営環境変化を予測するなかで、先行適応型の人材戦略を実行できなかったのである。「泥縄式(泥棒を捕らえて縄をなう)」で、対応策が後手後手に回るなか、問題が深刻化して、経営を揺るがすまでの問題に発展し、最悪の場合には企業倒産といった事態にまで陥ってしまっているのである。

 良いタイミングなので、今回は改めて、戦略とは何か、人材戦略とは何か、を考えてみようではないか。

 まず、そもそも論から始めると、「戦略」という言葉自体はわが国のものではなく、「strategy」の訳語であり、それはギリシャ語の「strategos」に由来するとされる。原義は将軍や指揮官(general)に近く、軍事用語の一つとされ、将軍の術(the general’s art)を意味する。
 近代経営学では、企業経営への応用のために「経営戦略」と名付けて定義される。下位概念としての戦術(tactics)、戦闘(battle)などがあり、上位概念として企業理念(principle)、企業目標(target)などが位置づけられている。
 こうした基本概念を踏まえて、筆者は「人材戦略」を図表1のように定位して、その周辺の概念との関係性を捉えている。

 人材戦略は、企業内に策定され機能を発揮するものだが、その上位には「企業戦略」を位置づける必要がある。企業戦略とは事業戦略やマーケティング戦略など、本業としてのビジネスの成長を目指す戦略である。この上位にある企業戦略の実現、成功確率を高める存在として人材戦略が必要となる。
 同時に、人材戦略は、ルーティン業務としての人的資源管理を方向づける役割も果たす。これは実際に人的資源管理の機能を発揮する際の方向性である。人的資源管理の機能を最終的に単純化すると「吸引→定着→貢献」のプロセスである。
 「吸引(attraction)」とは、“魅力ある企業”として労働市場にある人材を惹き付け、採用できることで人材の調達を実現する機能である。「定着(retention)」は言うまでもなく、採用できた人材を一定期間組織内に留まらせることでスキルやノウハウの蓄積を図り、それが顧客の信頼や新たな製品イノベーションを実現するための人材基盤を形成する機能である。最後の「貢献(contribution)」とは、所属組織に対して与えられる対価に見合うか、それ以上の貢献を行おうという意欲、態度、行動を引き出す機能である。いわゆる、モチベーション、モラール、リーダーシップといった下位概念を総称するものとして位置づけている。

図表1 人材戦略と人的資源管理
図表1 人材戦略と人的資源管理

 この企業戦略と人材戦略とが良好な相互補完関係を形成することで、企業は絶え間なく変化し、企業の存亡を左右する様々な外部環境変化への適応に成功することになる。

 整理すると、「戦略」とは第一義的には「外部環境への適応」の方策であり、環境(顧客、競争、技術)のもつ不確実性への適応を実現させる。これを「ストラテジック・フィット(戦略的適応)」と呼ぶこともある。
 第二の戦略の機能は「機会及び脅威・問題の発見」である。明確な戦略が描かれることで、企業成長の機会(チャンス)を見つけることを可能とし、同時に、企業目標と環境との乖離(ギャップ)を認知できるようになる。
 第三の機能は「システム機能」と呼ばれ、細分化された組織内の各部門(下位組織)を一つの全体として統合させ、機能させる。例えば、企業戦略と人材戦略、そして人的資源管理が共通の目的達成のために、整合的かつ相互補完的な関係をもって機能することを意味する。
 第四の戦略の機能は「決定ルール」としての機能である。達成目標としての企業目標だけでは、組織内外で求められる意思決定に対して、十分な判断基準を提供することは難しい。戦略は、それよりも具体性のある決定ルール(基準)として機能するわけである。例えば、「市場シェア**%達成」「売上高倍増」といった企業目標が示されていたとしても、日々の業務で発生する様々な意思決定の現場においてはあまり役に立たない。それよりも、「アジア市場での事業展開を重点化する」「新たなイノベイティブな商品開発に注力する」といった企業戦略が示されていれば、各部門で発生する意思決定は、その戦略に照らして様々な代替案の優劣を判定することが容易になるのである。日本企業では、企業目標-企業戦略-実行戦術の一連の流れは、「中期経営計画」などにおいて記述されることが多い。

 さて、「戦略」という経営ツールの基本的な理解を整理できたとして、現在の労働市場環境において、日本企業の企業戦略、そしてそれを支える人材戦略をどう評価すべきであろうか。環境適応能力に優れた人材戦略が展開されているのだろうか。冒頭で述べた人手不足倒産や、人手不足による事業停滞などの経営の失敗をみる限りでは、人材戦略と企業戦略との関係に齟齬が生じている可能性もあるように思われる。



・事業戦略と人材戦略との関係性

 事業戦略と人材戦略との、有機的な結合によって成功している企業は数多くある。
 恒常的な人手不足にあるサービス業、流通業などの事例でみてみると、例えば、東京都板橋区に本社をおく「株式会社 心の居酒屋オアシスオブオールド」が経営する「心の居酒屋」は、従業員の平均年齢は66歳で、特に高齢者の雇用の比率が高いことが最大の特徴である。この「心の居酒屋」は当初は高齢者の雇用を目的とするものであり、必ずしも高齢者の来店を目的とするものではなかった。(高齢者の時給は一律700円である。)しかし、結果として他の居酒屋と比較すれば高齢者の来客が安定的に多くなり、繁盛店として経営に成功している。それは、高齢者従業員と話題が合う、あるいは馴染みやすいことが原因であろうといわれている。あるいは、何度か報道でも紹介されたモスバーガーでも、ある店では在籍するアルバイトの2割、約10人が60歳以上となったことで、彼らは、親しみを込めて「モスジーバー」と呼ばれるようになって顧客から親しまれるようになった。また、高齢者が比較的時間の余裕があるため、早朝・深夜にシフトを組むことができるケースが多く、若者層との役割分担がしやすくてシフト管理が良好となり、加えて、ハンバーガーというどちらかといえば若者向けの商品に、高齢者従業員がいることで高齢者顧客にとって印象が変わって入店しやすくなり、新規顧客層との接点が拡大したという成果も得られている。これらのケースは、高齢者雇用の重視という人材戦略が、事業戦略の成功を後押しするという好循環を生み出している。
 人材戦略は基本的に、先行的に決定される事業戦略、企業戦略に従属する形で策定されるべきものであるが、よく考え込まれた人材戦略が、事業戦略との間に相乗効果をもたらすといった形で相互補完関係をつくることにもなりうる。



・人手不足から考える「魅力ある企業」とは

 人手不足、すなわち労働力不足は労働市場の需給によって、マクロ経済的に発生するものだが、企業経営というミクロの次元では、単なる需給問題と放置できるものではない。
 経営問題としての人手不足には、労働力需要に見合う採用が困難な恒常的な採用難から発生する人手不足と、自発的離職率の高さから発生する人手不足という二つの次元がある。前者は「採用力」という労働市場における競争力の範疇に属する問題であり、後者は採用できた人材の定着性を維持できないという経営内部の管理問題である。
 したがって、個々の企業が人手不足リスクを回避するためには、上記の二つの次元での対応を同時展開することが必要となる。近年の各社で展開されている女性の活用戦略やワーク・ライフ・バランス戦略なども、育児、介護、過労、メンタルヘルス、老後生活などの従業員リスクへの支援戦略を通じて、定着性を高めながら、そこで形成される「働きやすさ」「働き続けやすさ」を労働市場にアピールすることで、採用力の強化が図られている。また、採用、定着に加えて、在籍従業員のモチベーションや貢献意欲を高めることで労働生産性の上昇が実現できれば、さらに人手不足リスクの回避にもつながることになる。
 デフレ経済が収束しようとするなかで、人材の「吸引→定着→貢献」を実現する自社システム全体の再評価、そして再構築が必要な時期にあるともいえる。換言すれば、一社一社が、改めて「真に魅力ある企業とは何か」を再考することが求められる時期にきているということかもしれない。長いデフレ経済のなかで、容易な採用環境が長くつづいたこともあってか、ともすれば、人材の「吸引→定着→貢献」の各プロセスが十分な機能を果たし得なくなっていることも考えられる。早急に、再点検とブラッシュ・アップを考えたいものである。その過程においても福利厚生は新たに「魅力ある企業」を造るなかで、ユニークな役割を果たせるであろう。