新型ウィルスの世界的な蔓延が、これほど世界を揺るがす脅威になろうとは、、、。

筆者も含めて当初は予期できなかった方も多かったのではなかろうか。連日の報道をみていると、世界経済、日本経済にかつてない大きな打撃を与えるのではないかと懸念される。近年では、リーマンショックや東日本大震災という大きな経済後退を経験したわが国だが、それを上回る深刻な影響となることも予想される。

しかし、である。

それでもやがて時が経ち、「ああ、大変だったなぁ、あの時は」ということになるのであろう(期待)
その楽観的前提の下で、今回はこの問題が、現在の日本人の働き方や企業の人的資源管理のあり方にどのような影響をもたらすことになるのかを考えてみたい。

 

まずは「三密問題」である。「密閉」「密集」「密接」、すなわち、換気の悪い密閉された空間、人が密集している場所、密接した近距離での会話などの回避が求められる中で、これまでの働き方は大きく制約されている。

 

これまでの長い産業労働のなかで、効率的、生産的に働くということは、「密」によって成立してきたといえる。私の講義では企業形態論として事業の形の発達経過について、歴史的な推移を解説しているが、そもそものスタートラインの働き方は、「家内制手工業(cottage industry)」という形態の下で始まった。これは、文字どおり、労働者の自宅で、大した動力(蒸気機関や電力)も使わず手業(てわざ)によって、コツコツと生産活動に励むスタイルである。
現在でも民芸品や竹製の釣り竿などの製品では、こうした形態で生産活動が行われている事業は残存しているが、もはや産業遺産的なものと位置づけられている。この家内制手工業の時代は、およそ「三密問題」とは無縁であった。

埼京線や東海道線などでの朝の満員電車という恐ろしいまでの三密空間での通勤も無く、寝間から起きて、茶の間で朝食を取り、土間に面した仕事場に入って生産に従事するという、家族以外の他者と接することはほとんどなく、会議もなく、営業活動もない。「密」ならぬ「孤」の世界で仕事が完結できた。

 

しかし、その後、時代は「問屋制家内工業」「工場制手工業」を経過し、産業革命によって現在主流の工場制機械工業(factory-based industry)へと進化する。この事業形態の進化の過程で生産性が飛躍的に伸長することになるわけである。

この進化の本質は、人材、資本、空間、時間の「集約」であり、「集中」であり、その結果として事業の大規模化がなされ、そこで「分業・協業システム」が構築される過程であった。かつて、国富論を記したアダム・スミスは、裁縫用の待ち針を作る製造業の例をあげ、工場で熟練技術者が効果的な分業を行えば、非熟練者の個人作業に比べて4,800 倍の生産性を得ることが出来ると述べた。それでも彼は、今日のカンバン方式のような極限的にまで効率的な生産方式にまで至るとは想像できなかったであろう。恐らく現在までに、家内制手工業の時代の数万倍の生産性向上が実現されてきたのである。

ともあれ「集約」「集中」そして「分業・協業」とは、表現を変えれば労働者を核として様々な生産要素の「三密」を高めることにほかならないわけで、それらの相乗効果、相互作用を含めて低コスト化、付加価値拡大を実現させた事業形態、そしてそこでの働き方を模索し、到達したわけである。

しかし今、「三密」の回避が強く求められるなかで、それが契機となって大きな転換点を迎えているかもしれない。

 

工場の生産ラインでも一人でも感染者が出れば、ライン停止となり、さらに感染が増える様なら休業となり、ホワイトカラーでもテレワーク、在宅勤務が否応なく一気に拡大し、互いに離れた距離からしかコミュニケーションをとれないようになっている。
会議や出張なども全てリモートで、といった流れである。
テレワーク・インフラ支援企業には引き合いが殺到しているとも聞く。

 

販売現場でも営業マンによる訪問型営業は、拒絶されるか、よくても来訪者、訪問頻度を最小限にと、顧客から求められる。
来店型ビジネスはさらに深刻で、繁盛店ほど忌避されるという深刻な事態も起こっているようだ。顧客接点を重視してきた第三次産業を中心に危機的な状態に陥っているわけである。

 

空間と時間そして、そこに人材や顧客を「集約」することで生み出そうとしていた価値創造のあり方がある意味で、根底から揺さぶられているのが今回の騒動である。

単純に考えれば、逆転の発想で空間、時間、人材を「分散」させた状態でいかに価値を生み出していくか、という話である。もちろん、これまでもテレワークは推進されてきた。特に、近年は働き方改革の動きにも押されて多くの企業で導入されつつある。
確かに通勤地獄の回避や育児・介護との両立などにとっても「家内制手工業(= 在宅勤務)」は好都合であったわけである。しかしその動きは一部の企業を除いては、あくまで補完的な働き方であって、各企業にとって最も重要な価値創造過程は依然として「集中・集約」の世界に残されていたのではないだろうか。

仮に、この禍が予想外に長期化することとなれば、一時避難的なテレワーク型業務ではなく、事業継続でき、さらに成長を図ることが可能な新たな基幹的な仕組みとして分散型、ネットワーク型の生産システム、価値創造システムの構築に迫られる。そして、その前提のなかでの新たな人材活用のあり方を考えなければならなくなるのだろう。

 

これが今、わが国でも注目されはじめたビジネス世界におけるデジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation :DX)を加速することにも繋がると考えられる。DXとは、あらゆる産業において、新たなデジタル技術を利用してこれまでにないビジネスモデルを展開するディスラプター(創造的破壊者)と呼ばれる新規参入者が登場し、多くの産業でゲームチェンジが起きつつあることを示す概念である。

GAFAに象徴される巨大企業もその恩恵を最大限に享受する企業群である。わが国はDXへの対応が遅れており、旧来型システムの弊害によって「2025年の壁」と呼ばれる巨大な損失の発生が危惧されている。今後、日本企業は、競争力維持のためにもDXへの対応は避けて通れないとされている。

こうしてコロナ禍を契機にして、ICTIoTAIなどデジタル技術を最大限活用した分散型のネットワーク事業形態が拡大するとすれば、それに適合できる人材の活用と管理、そして福利厚生のあり方も再考しなければならないだろう。