経済産業政策、ベンチャー企業経営を経て医師・産業医となる。
現在総合診療医として臨床診療を行いつつ、様々な業種の企業の産業医を務めている。
林 幹浩

 企業の人事・労務に携わっておられるみなさんは、日ごろから様々なご苦労にあわれていることと思います。
 元気でバリバリ働いている社員さんについてはやることはあまりなく、どちらかというと、調子が悪くなったりトラブルになったりしている社員さんに何ができるか、ということに割く時間が多くを占めるという方も多いのではないでしょうか。
 ただ、医療者の眼から見ると産業保健というのは、実に多面的な取り組みのできる贅沢な場であるように思えます。私の関わらせていただいているいくつかの企業で中心的な問題であるメンタル疾患を例にとってお話ししてみます。

 なんらかのメンタル不調を来した人に対して、臨床精神科医は抗うつ薬などの投薬をすることができますが、逆に言うと投薬することくらいしかできないことが多いように思えます。
 患者さんの問題をゆっくりひも解く時間はなかなかなく、仮にあったとしてもご本人からしか情報が得られないために、あまり有効なカウンセリングが行えないこともあるようです。(クリニックなど医療機関の経営上の視点が加わるとなおさらです。)
 適切なカウンセリングを受ければひょっとしてよくなる可能性がある人が、近くのメンタルクリニックで月に一度の5分間診療で薬をもらっているだけ、といったケースはよく目にします。

 私はメンタル不調者のケアにかかわる際は、勤務時間や業務負荷量などの外形的な条件設定ももちろん大切と思っていますが、可能な限りライン・人事の方々とディスカッションし、その人の仕事ぶりや基本的な職務上の能力(コンピタンス)について、具体的な業務内容・その会社にとっての意味まで掘り込んで共有するようにしています。
 本人との面談での傾聴にそうした情報が重要なのはもちろんですが、問題の所在がむしろラインや社内制度など他にあることがわかることもあり、また、たとえばマネージャーに対するコーチングを実施することが会社にとって一番の対策であるといったことや、トップマネジメントの社員へのメッセージの出し方が最大のポイントではないかと思われるケースもあります。

 本人に焦点を絞るとしても、たとえば、いわゆるABC理論に基づく認知行動療法がよい適応であると考えられたとしても、一般臨床ではストレッサーを全体としてはなかなか把握できない中で、本人の認知にだけ働きかけるのが奏功しづらい側面があるところ、産業衛生では「職場」という次元の環境はかなりの程度把握でき(あるいはある程度制御でき)、本人の気づきを促す方策もさまざまに用意することができます。(職場の環境制御の例として「復職プログラム」の設計などはその一つと言えるでしょう)

 そうしたことは個々の臨床医がやりたくてもできないことであり、多様なソリューションの中から、本人と組織にとっての相互的な解を見出そうとする取り組みとなるという意味で、とても魅力的なものです。
 そしてそれは、個人としてのストレス耐性(いわゆる「折れない心」)を獲得してゆくプロセスであるだけでなく、企業自身の変化への耐性・成長性という成果へも直結しているのです。

 企業で働く社員さんにとって、会社は環境そのものであり、自らの成長可能性を投影するフィールドです。会社にとっては、その社員さんのコアバリューとしてのスキル・能力を発揮してもらうことで、企業体としての成長を果たそうとします。
 これがまさに経営戦略であるわけですが、健全な企業はその置かれた経営環境が変化しつつある場合、戦略そのものを動的に見直してゆきます。具体的には、企業が持つ最大級の資産である各社員のコンピタンスを、新たな環境で生かすにはどうすればよいかをさぐってゆくのです。
 そうしたことは会議室で偉い人が決めるという性格のものでは本来なく、現場でラインと社員とが市場と向き合いながら模索してゆくものです。企業の成長力や環境変化への耐性(レジリエンス)は、現場でのそうした作業を通じて培われると考えられ、またマネジメントも社員もそうした作業を通じて、個人としてのストレス耐性を自分のものとしてゆけるのだと考えることができます。

   産業衛生が企業戦略とともにあるというのはこうした文脈からです。

 メンタル休業者に復職してもらうとき、その可能性を判断するには「業務を理解している」産業医などが必要ですが、現在のように経営環境が大きな転換点にあるとき、一歩進めて『その会社の経営戦略を理解している』産業保健スタッフこそ求められるのではないかと考えます。
 産業保健が様々な法制度の下で行われている現実からは、「決められたことをやる」という側面も確かにあるのですが、本来の意味ではいかに組織が新たな環境において人材を生かせるかという視点でなされるべきでしょう。
 たとえば産業医は、経営者とその企業の経営戦略を議論できるレベルであってよい(あるべき?)と考えるのですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。






■ 林 幹浩 略歴

林 幹浩
国の産業政策、ベンチャー企業経営、臨床医療に携わる。
現在、総合診療医として現場に立ちつつ、IT企業を含む数社の嘱託産業医を務める。