労働衛生コンサルタント
Vocation Support K 代表 竹下 溪

 

ストレスやうつを抑えることができ、がんにかかりにくくなり、認知症になる確率が半分になり、注意散漫(注意欠陥障害)から抜け出し、集中力をコントロールし、記憶力を極限まで高めるそんな魔法のような処方箋がある事をご存知でしょうか?ついでに筋肉が増えたり、体脂肪が落ちる可能性もあるのです。1錠何千円もするサプリメント?いいえ違います。今日はそれらのことを解決できる魔法の処方箋をお教えしたいと思います。

 

結論から申し上げますと、それは「運動」です。

 

1,脳は何歳だって進化できる

筋トレをされる方はご存知の通り、筋肉を増強するには、いったん筋繊維を痛め、または少し壊してから体を休ませる必要があります。脳のニューロンについても似たようなことが起きます。ニューロンにはもともと修復・回復のメカニズムが備わっていて、軽度のストレスにより作用します。運動の凄いところはニューロンの回復プロセスのスイッチを入れてくれるところです。つまり運動すると、心身ともに強く柔軟になり、難問をうまく処理し、決断力が高まり、うまく周囲に適応するようになることが証明されているのです。

 

2,脳にとってのストレス

脳にとってのストレスには、老廃物(フリーラジカル)による「酸化ストレス」、グルコースからATP産生がうまく作り出せない場合の「代謝性ストレス」、そしてグルタミン酸の活動が活発すぎる時に、ATPがまかないきれなくなる「興奮毒性ストレス」があります。

このストレス状態が長く続くと、ダメージを修復できないまま、樹状細胞は縮み、最終的にニューロンは死に至ります。これが、神経変性、アルツハイマー病、パーキンソン病などの疾病を引き起こします。

日々ストレスにさらされ、緊張状態を継続されている社員の方もいらっしゃるのではないでしょうか。適切に体と脳を休めることができないと、回復のプロセスが始まらず、扁桃体が信号を出し続け、コルチゾールの量が健康なレベルを超えてしまいます。ときには闘争・逃走反応のスイッチがずっとONになったままに心的ストレスに対しても、身体的ストレスに対してもストレス耐性の閾値が低くなってしまうのです。

 

3,運動の効果・効能

少し専門的なお話をしますと、新たなニューロンを作るための重量な要素にBDNF(脳由来神経栄養因子)があり、それらを手助けするIGF-1,VEGF,FGF-2といったホルモンがあります。運動を行うとこれらの成長因子が脳内でBDNFと協力して学習に関連するはたらきを活性化するのです。IGF-1は脳内ではBDNF受容体の生成を促し、ニューロンの結びつきを強くして記憶を確実なものにするため、長期記憶にも一役買うことになります。

PMS、PMDD(月経前不快気分障害)に悩まされる方にとっても、運動は唯一の解決策ではないとしても、症状を劇的にやわらげ、八方ふさがりに思える状況から、どう向き合えばよいかを教えてくれる手立てになります。生活スタイルの見直しと合わせて、薬が減り、またはいらなくなるかもしれません。

さらに興奮やパニック発作を防ぐブレーキの役割を担っているのが海馬ですが、運動によりこのブレーキを強化することができるのです。運動を行い、それを終える時コルチゾールの血中濃度は下がり、次回からあまり上がらなくなってきます。この時、ストレス反応のブレーキである海馬と前頭葉が強化され、不安の引き金である扁桃体の活動がおさえられます。さらには脳内の興奮を鎮めるGABAの作用が活発になります。こういったすべての効果が、一挙に得られるのです。

つまり運動を行うことで、気持ちが良くなり(気分のムラは90%以上抑えられるというデータも)、頭がすっきりし、注意力が高まり、やる気が出てくるのです。

 

4,実際にどのような運動が、魔法の処方箋、たりうるのでしょうか

頭のキレを保つため、どの程度の有酸素運動を行えばよいかについて、日本でも科学的な研究がおこなわれています。それによると30分のジョギングを週に2~3回、12週継続することで遂行機能が向上することが示されました。

モントリオール・イメージング・ストレス・タスク(MIST)テストは制限時間の中で暗算を行うテストなのですが、正答率が低くなるようAIによって調整され、テストの最中に被験者の得点が平均をはるかに下回っていることを伝えるなど、イライラするかなり腹立たしいテストです。テスト開始前に30分のサイクリングを行ったグループは、著明にコルチゾールの値が低く、海馬の働きも活性化し、イライラが抑えられていることが証明されました。

不安や心配を速やかに消し去ることにおいて、薬やアルコールにもその作用はありあます。どちらも標的はGABAですが、GABAの抗ストレス作用は飲酒や薬の摂取でも認められますが、動くこと、つまり運動によってより活性化します。ウォーキングでも効果はそれなりに見込めますが、最も効果があったものはランニングやサイクリングでした。

 

このほかにも、こどもさんの学習を最大化する運動、集中力をコントロールし没入感を高める運動、ランナーズハイを手軽に手に入れ日々のパフォーマンスに生かす運動、高学歴・高収入に関して学歴の値だけでは差異は生まれず、運動の有無によって有意差が生じることなど、さまざまな社会学的研究データもあります。ぜひご自身の目的にあった、運動時間・運動強度・頻度を調べ実践してみてください。

 

また人事・総務のみなさんにとって、休職・復職者への対応は非常に身近なことと存じますが、うつ病の運動療法に関しても少し言及したいと存じます。英国NICEガイドラインでは、軽症~中等症のうつに関して、構造化された指導ありの45分~1時間の運動プラグラムを週に3回、1014週継続することが推奨されています。米国ACPの成人大うつ病性障害のガイドラインにおいては、抗うつ薬と運動との比較が記されているのですが、16週の治療で同等の効果があるとしています。復職時に生活リズム表を記載し、復職支援を行っていらっしゃる企業様も多いと思います。その中に、就業時間(8時間×5)の活動性とは別に、その方の年齢や働き方に応じた散歩・競歩・ジョギング・ランニングの時間を最低30分確保するように働きかけてみてください。再休職率が明らかに低下した企業もございました。

 

5,さいごに

仕事が立て込み、日々忙しく、就業後やお休みの日に運動する気力も体力も残ってないよ!と思われる方もいると思います。実際よく耳にしますし、わたしも救急・外科時代まったく同じ様に思っていました。元気が出そうで手軽な脂肪や糖分、たっぷりな食事、頭をぼんやりさせるアルコール、などなど依存症になるものに頼っていませんか?それはコルチゾールをはじめとするストレスホルモンに振り回されているからに違いありません。

運動による一挙両得の効能を実感し、運動が習慣になれば、アルコールを飲んだり何かを食べたりしなくとも、幸せな気分、爽快な気分を感じられるようになります。脳の報酬系が運動後の爽やかさを反復させ、自分には運動があるから大丈夫だ、とストレスを蹴散らしてくれるのです。

 

 

■竹下溪 【略歴】
・外科系救急で研修を積み、その後病理学で研究を行う

・大企業の工場・研究所内での診療経験から予防医学・職域産業衛生の道へ

・働くすべての人が調和ある楽しい人生を主体的に送れるよう、労働衛生コンサルタントとして、2018年にVocation Support Kを立げる

・現在は、化学物質・有機溶剤などのリスクマネジメントから女性のライフスタイルに合わせた職域における支援など、研修や講演など積極的に行っている